5月21日公開
※以下50音順
作品全体としては、金沢の美しい景色とともにゆったりとした時間が流れているのですが、その中で生と死を巡る様々なエピソードがテンポ良く描かれ、物語に引き込まれました。
誰にでも大切な人がいるはずです。
そしていつか別れのときが来ることもまた必然です。
「心に寄り添う」とはどういうことなのか、まほろば診療所の皆さんが教えてくれます。
スクリーンに映し出される物語は、私自身にとって極めて身近なことでした。
悲しいことはなるべくなら考えたくは無いけれど、生きていれば別れの時が必ず訪れる。
その時、自分はどのように向き合うことができるだろうか?
答えは無いかもしれないが、まほろば診療所の人たちと共に、穏やかな気持ちで考えることができた。
この映画は、一人でではなく、大切な人と一緒に観ることを薦めたい。
日本国民全員に観て欲しい ぐらい、この映画の中にはヒントがあると思う。
久しぶりにきれいな涙を流しました。
今、大変な世の中で、厳しい現実に打ちのめされたり、つらい思いをすることも多いかと思います。
大切な人が病気になったり、介護が必要になったり、亡くなったりすることもあるかもしれません。
大切な人との時間が限られたものだと知った時、その人の命の閉じ方を尊重しながら寄り添うことが、旅立つ人にも、残された人達にもかけがえのない心の宝物になるのだという思いを、この映画を見て持ちました。
現在、多くの人が病院で迎えている人生の最期の時を、自宅で迎えられる事は贅沢な事なのかもしれません。
患者さんに寄り添える、自分らしい人生の終え方を選べる在宅医療の大切さを感じたのと、過去に医療の現場にいた者として素直にまほろば診療所で働いてみたいと思いました。
とても自然でリアルで目線もまるで自分がその場に居るかのような感覚。
心に直球でずしりとくる。目を背けず、受け止め、あなたの正解はどれなのか、ヒントを見つけられるかもしれません。
この映画は、最後をどう生きるか、最後をどう迎えるかがテーマになっています。
神様が決めた寿命に向かい、死を恐れずに、最後までポジティブに生きること。
いろんな方に映画を見て、考えていただければと思います。
観終った後、 大切な人に会いたい、声を聴き感謝を伝えたい、話したいという気持ちが高まり、
優しくポジティブになれ、心が温まった。
今ある一つ一つの時間に感謝し、
より今を大切に生きたい、
そう感じさせてくれる映画でした。
消えていく命とそれを受け止めようとする「まほろば診療所」の日々、その時間には命への尊厳が満ちている。
吉永小百合はその時間をスクリーンの中で懸命に生きてみせる。
声高に叫ばずとも、そこにいる彼女のシルエットが訴えかけてくる。
あまり広くは知られていない『在宅終末期医療』ですが、現場のリアリズムが映像から伝わってきます。患者さまを生かすことが医療ですが、その命をどう仕舞うかもまた医師の大事な務めだと改めて思い知らされます。キャストの皆さんの表現力には、知らぬ間に引き込まれます。ことに田中泯さんの老いゆく姿の哀しさには敬服させられました。いい作品をありがとうございます。医療に携わる者としてお礼を申し上げます。
この映画を観ると大切な人との過ごし方、自分自身のこれからの生き方など、改めて考えさせられます。
人生の中で一度は考えなければならないテーマだと思いました。
私は前職が看護師だったこともあり、人がいずれ死んでしまうことを実感することは多かったと思います。
それでも自分や大切な人たちに置き換えて考えることは出来ていません。
自分の死に際は誰にも邪魔されたくないのに、身内にはそれができない。
そんな時に”まほろば診療所”の方たちが寄り添ってくれたら、自分なりに一番良い答えを出せそうだと感じました。
人の死というものを扱っているにも関わらず、映画全編を通して感じるあたたみや温もり。
今、観るべき作品だと思います。
人と距離を取らざるをえず、体温を感じづらい世の中ですが、今の自分が人とどう接して、どう生きていくか?考えさせられました。
そして、キャストスタッフの皆さんが「死」そして「生」を考えながら、感じながら作られたのだと思い、涙が止まりませんでした。
家族、友達、自分自身のことを考えました。
人の温かさ、生きることの素晴らしさ、それを映し出す映像美、心動かされる映画です。5回泣きました。
「父の命は誰のものなのでしょうか」。主人公の医師・咲和子の問いかけが胸に迫る。なぜなら私自身も、夫の闘病中に何度も自分に問い続けたことだから。そしてたどり着いた“いま、この時”を積み重ねていくこと。それがどれほど厳しく、でも豊かなことであるか。亡夫が残した「死ぬことと生きることは同じ」という言葉を改めて深く受け止めました。「いのちの停車場」、秀逸なタイトルです。そこに到着したいのちは、再びどこかへと旅立つのですね。
痛いことは嫌い、血圧を計ってもらうのも嫌。
とんでもない老老介護の家を訪れてみると、ゴミ屋敷。
まず家をきれいにし、最後はあたたかな家の中での看取りが行われていく。 吉永小百合さん演じる在宅ケア医が悩みながらあたたかい。すべてが患者中心。
生とは何か、死とは何かを
感動的に美しい映像
で魅せてくれる。 コロナで疲れた
心を癒してくれる、今こそ観てもらいたい「命の映画」だ!
私自身、在宅医療に13年間従事したので、この映画はとても身近なものでした。
多くの患者さんを看取る中で感じた絶望、悲嘆、やるせなさ。
同時に体験した深い感動と感嘆。いのちの停車場」にはそんな現実を彷彿させる場面がいくつもあります。
不可避な死に向き合うことの重さ。ラストの咲和子の決断。苦しむ父を安楽死させるのも地獄、生かすのも地獄という過酷な状況を、臆せず静謐に描いた監督に心よりの敬意を表します。
思い出したら泣いてしまうぐらい、作り手の方の思いが伝わってくる、良いシーンの連続でした。
2時間があっという間に過ぎました。
人は一人じゃないんだ、誰か支えてくれる人がいつもいるんだ、そんなことを思い出させてくれる、素晴らしい映画です。
涙する“いのちの停車場”・・・。
あの頃、小学生だった“若”岡田裕介さんの腕白振りを思い出さずには、いられない。ありがとう。
送る命の重さ,ひとつの命を預かる重さ。
いつの世も不変でなければならない命の重さを,この時代だからこそ『いのちの停車場』は考えさせてくれる。
よくTikTokで僕に対してくる質問で、「自分は何がやりたいのか、どういうことをすればいいかわからない」という若い層からコメントを貰います。
そういう人たちにとってもこの映画はすごくヒントがある。
どの世代にもいつか来る“いのちとの向き合い方”を丁寧に描き、共感部分が沢山あり、誰にでもわかりやすい、すごく優しい人間ドラマでした。
愛する人や家族、自分自身のいのちにもいつか必ず終わりはやって来る。
その時を、その命をどう迎えたいのか、どう見送ってほしいのか。
観終わった後、愛している人や家族と昨日よりも少しだけ真剣に、いのちの話が出来る映画だと思います。
医療従事者による治療、延命措置の在り方、患者自らの「いのちの長さ」への向き合い方。
お互いが診療を通し心を通わせ、そして暖かくも切ない記憶を心に刻む。
「いのちの永遠の解放」という願いを叶えてあげたいという送る側の気持ちを試される瞬間、キャストさまの「死生観」に対する演技に胸が締め付けられる想いです。
金沢の美しい情景と相まって、より深く胸に刺さりました。
脚本が医師ならではのリアルで衝撃的な作品でした。
私自身、昨年から病院に復帰し、毎日人生や命の大切さを考え、患者さんとの向き合い方に正解はないと痛感しています。
医療行為を行うだけが医師ではなく、寄り添って心の支えになることも大切な仕事だと思います。
コロナ禍でそれまでとは全く違う生活を送る中、多くのことを思う1年でした。 誰にでもいつか必ず訪れる死。命のしまいかたを考えるきっかけとなるはずです。
人間が生物である以上、本来「死」そのものは理にかなったものなのだが、身近な人間の死に出会うと、人は「いのち」を理不尽なものとしか思えない。なぜこんな形で「死」はやって来るのだ、と。この映画は、その理不尽にしか思えない「いのち」の様々な姿を表現することに果敢に挑んでいる。そしてその事を託された俳優たちが、それぞれに、巧みに全力で表現をしている。私の大好きな役者さんが沢山出ていて、皆、全力で「死んでいってみせてくれ」、或いは全力で「その死に立ち会ってみせてくれる」。その果てに、ラストのあの朝焼けがある。あの時の吉永小百合の表情に、私は「敬虔な顔」を見た。古代、まだ私たちの身近に神がいた頃、「理不尽ないのち」というものを人間が初めて知った時の、敬虔さである。
私を信じてくれた父。毎日バス停で迎えてくれた母。いまの私があるのは両親のおかげ――。 この映画で忘れかけていた、大切なものに気づくことができた。 私の胸のなかの大きな鐘が何度も打ち鳴らされ、心が揺れ動き、 誰かの優しさが、人を強く、たくましくするんだと改めて感じさせてくれた。
【生きる】ということ、そして【いのち】というものに対して真摯に向き合い、深く考え、勇気をもらえる作品です。限りある命だからこそ自分の人生をどう生きるべきなのか、自分の命というものをどう受け止めるのか。
また、そこに関わり支えてくれる人達の想いや願い。
表裏一体である【生と死】には、共に大きな愛と優しさ、美しさが詰まっていることを改めて感じました。今このご時世だからこそ、多くの方に観て頂きたい珠玉の映画です。
人の最期のあり方を描いた傑作。命は誰のものなのか、“いのちのしまい方”を決めるのは誰なのか。そんな問いの答えを、余白を通じて感じさせてくれました。
登場人物も人間らしくてピュア。複雑であり単純でもある人の心を、見事に体現されています。
今こそ多くの人に見てほしい作品です。
どう生きるかを考えさせられ、命の輝きを実感する映画でした。
ズキューン!と刺さるシーンがたくさんあります!
嘘のない描き方。まるで人生のPVのようでした。
20年前に自宅で末期がんの母を看取ると決めた私に求められたのは「覚悟」だった。
「何かあったら」という不安に怯える父の姿「もういいから...」疼痛に苦しむ母の声は今も忘れない。 医師でさえ大きく揺らぐ終末期に患者が死を望むのは「我々のケアが十分でないから」と長年在宅に取り組む医師は言う。
理不尽な運命への怒り、死への恐怖、心の痛みは薬では癒せない。 看取りで大切なのは場所ではなく貴方の声なき声に耳を傾け、
限りある命を生き切ることを支え見守ってくれる「人」が居るかどうか。絶望と孤独に寄り添ってくれる"まほろば”に私も出逢いたい...。
生と死。何が正解で何が不正解なのか。医療従事者の方々は日々悩んでいるのだろうと、素人ながらに考える機会を与えてもらえたような気がします。
私事になりますが、昨年末に看取りで亡くなった祖母のことを想わずには観られませんでした。コロナ渦で未だに墓前に手を合わすことも出来ていないのですが、「いのちの停車場」を観て何故か少し気持ちが楽になりました。
そんな優しさの中に、明日への夢や希望を与えてくれる力のある映画でした。
家族や友達など、会いたい人に気軽に会いに行くことが難しいこのコロナ禍で、改めて「いのち」についてより深く考えるきっかけになった映画でした。
それぞれの人生がそれぞれの時間でそれぞれの価値観で流れていて、単純ではない様々な感情で胸がいっぱいになり涙が何度も流れてきました。
自分が歳を重ねる度に何度も見返して、その時々の自分の感じ方を大切にしたい映画です。
こうして触れる作品や周りの人たちや日々が最期へと、ひとつひとつ導いていってくれているのかしら。
光そのものだった場所も時間も自分も、だんだんと沈む陽を見送るみたいにして
やがてくる闇の中で 最期を探すのかしら。
生きるも終(しま)うも最期まで難しそうだ。
温かさ、深い愛、そして怒涛の感動と色々な人に映画館で観て貰いたい、そんな一本になりました。
そして観終ったあと、家族に直接「ありがとう」と伝えたくなりました。
この世に命を授かった誰しもが生と死に向き合い、受け止めていく。 改めて生の尊さを感じた2時間でした。
吉永小百合さん演じる咲和子先生をはじめ皆さんの作る冷たくて温かい世界に気がつけば涙がハラハラと落ちていました。
※以下50音順
いつの日か、誰の身にも訪れる、いのちをしまう日。
そんなときに寄り添ってくれる人たちがいたら、思いを汲んでくれる人たちがいたら、どんなにか心が軽くなるだろう。
「まほろば」診療所の医師とスタッフは、消えゆくいのちに、温かく手を差し伸べ、慈しみのまなざしでおくる。
ときに直面する残酷な現実にも、全身全霊で立ち向かい、受け止めるキャスト勢の気迫の演技は忘れがたい。
一つの別れである「死」は苦く切ないものですが、
深い悲しみと共に克明に浮かびあがる“家族の愛”と“いのちの輝き”が静謐な感動を呼び、心震わされました。
世代を超えた名優たちの渾身の演技で涙腺は崩壊してしまいましたが、その涙も次第に温もりにあふれたものへ。
それはきっと成島監督の厳しくも優しい眼差しが明日への希望を与えてくれるからでしょう。
吉永小百合、西田敏行、田中泯ら日本を代表するベテラン俳優から、石田ゆり子、柳葉敏郎ら味のある実力派俳優、さらに松坂桃李、広瀬すずら今後の日本映画界を背負っていく逸材まで、
奇跡的なキャストが成島出監督の采配のなか、見事な共鳴をみせる。
“いのち”にまつわるシビアな描写のなか、
なぜか観賞後“生きる”勇気をもらえる非常に不思議な映画だ。
「トリアージ」のような言葉が無防備に飛び交う時代にこそ観られるべき、個々の生命に真摯に寄り添う物語。
終盤に仕込まれた驚きの展開における、吉永小百合史に刻まれる名演は必見だ。
自分のことはもちろん、家族や友人の病気についても考えることが多くなったこの頃。
どうしても不安になりやすいけれど、
この映画は、そんな私たちに“今を生きる力”を与えてくれる。登場人物たちが皆優しいだけでなく、人間らしい弱さを持っているところがまた良い。
いつか自分のいのちをしまうときがきたら……。 そのときは、「まほろば診療所」の面々に側にいてほしい。
会った瞬間に「この人は信頼できる」と感じさせる医師や看護師に巡り合える幸せ。
吉永小百合と広瀬すずという、世代の異なる2人の女優が放つ清冽な佇まいに心震えた。
誰もが等しく迎える“その時”を真摯に見つめ寄り添う、重たさと、 限りないあたたかさに満ちた作品。ラストの余韻もまた、重たくあたたかい。
命の尊厳を鋭く問い、心を穿つ重厚作。ただ、本作はシリアスなトーンのみに終始しない。
胸打たれ、涙こぼれたのは、松坂桃李さんと広瀬すずさんが担った「未来への希望」。
いまがどんなに暗くとも、この先は変えてゆける。他ならぬ、僕らの手で――。
改めて教えられた。
映画は、観る者の心を救うのだ。
涙が止まらなかった。苦しい、切ない、愛おしい、 様々な感情を含んだ涙だった。と、同時に考える。
劇中の登場人物のように、もしも愛する者から「苦しみから解放されたい。殺してほしい」と言われたら自分はどうするのだろうと。当然、この手で“生”を終わらせることなどできない。
でも、でも……。正解なんて見つからない。
それでも、突き付けられた難題から目を逸らさず、もがき続ける人間でいたいと、そんなことを思った。
昨年、育ての母でもある祖母を看取った自分としては、とてもタイムリーな映画でした。
「自然体で、自分らしく」と言いながら、最期まで病気と闘っていた祖母の姿を思い出します。
劇中では辛い別れが連続して出てきますが、それぞれ苦しいだけでなく、 家族や友人との愛を感じる描写で切なくも温もりも感じました。
「もっと実家に帰っていれば」「旅行に連れて行ってあげれば」と後悔は尽きないですが、この映画を観て少し救われました。
団塊の世代が後期高齢者となる「2025年問題」。
どう死を迎え、どのように送り出すかは、多くの人にとって、より切実な問題になってきます。『いのちの停車場』は、高齢の父を持つ、女性在宅医の物語。
死の問題について深く考えさせられると同時に、
吉永小百合さんの名演に心を揺さぶられました。
松坂桃李さんと広瀬すずさんが織りなす微笑ましい関係性、美しい金沢の風景、
謎の “食堂”も素敵で、見どころの多い名作です。
“終末医療”は自分とは縁遠い話かなと思い鑑賞すると、その予想は大きく裏切られました。
他人事ではなく自分事として、日本のどこかで起きている事象ではなく、家族や友人、身近な人、そして自分自身がその立場になるかもしれない。
そんなことを吉永小百合さんをはじめとした登場人物たちが織りなす重厚な人間ドラマを通じて感じることができました。
そして登場人物たちの悩みや、決断に至るまでの過程が丁寧に描かれており、特に松坂桃李さんと広瀬すずさんが死と向き合い、成長していく様子は、安易な言葉になりますが涙なしには見れません。
終わった後、これまで出会った人への感謝と日々を大切に生きていくことの大切さを改めて実感しました。
物語の中に素敵な言葉や場面が散りばめられていますが、個人的には広瀬すずさん演じる麻世と松坂桃李さん演じる野呂がラーメンを食べているシーンが強く印象に残っています。
現実でも大変な時期が続いていますが、
少しでも後悔のない選択をしていこうと思える道標のような作品でした。
私もあなたも“死”がどういうものなのか、本当のところはよくわからない。
だから、人間が誰かの死に寄り添うことができるのかも、本当のところはよくわからない。
でも、誰かと最後の最後まで共に生きる、大切な人の“生”に最後の最後まで寄り添うことはできる。
この映画が描いていることはたぶん、そういうことなのではないかと思う。
古都・金沢。自宅で人生の最期を迎えたいと望む人々の頼みの綱となる在宅診療所で、命の重みを全身で受け止める女医の咲和子は精神的に疲弊する。それを癒し、支えたのは、診療所仲間の絆だった。現役の在宅診療医の原作だけにとてもリアル。コロナ禍が猛威を振るう現在の日本で、終末医療について考えさせる内容になっている。吉永小百合、広瀬すず、松坂桃李らが好演。
成島出監督のもと、日本映画が誇るスタッフが、全力で俳優たちを盛り立てる。人間いかに生きるべきかを問う珠玉の感動編だ。
救命救急の最前線で働いていた医師が在宅医療を通して見つめる“愛”と“いのち”。初の医師役に挑む吉永小百合を、松坂桃李と広瀬すずがバックアップする。
そのさまが、主人公・咲和子と彼女を支える診療所スタッフの絆に重なって見えた。
あるシーンにおいて、
吉永はセリフの変更を提案し“家族”という言葉を選択したそうだ。
それはこの映画のテーマであり、キャストやスタッフの間に生まれた連帯を表現する言葉でもあるのではないか。そんなことを思った。
避けることができない人生の終わりに、どう生きるかを説くポジティブな物語が胸に迫る。
まだあどけなさの残る少女から年老いた父親まで、形を変えながらも繰り返し描かれるのは、親子の絆。
誰しもに親がいて、誰かの子である。
そんな普段意識しない“あたり前”に気づかされた時、本作のメッセージは、一層忘れがたいものになるはずだ。
人間、生まれたからにはいつか死ななければなりません。
いかに尊厳をもって死ぬかということは、いかに生き抜くかということです。
身につまされる思いで、永遠のテーマである生と死について、改めて考えさせられました。
私は大好きな講演をして、明るく元気に「アパ!」と言って人生を終えたいです。